2009年12月1日火曜日

特願1973-0831XX 「銀杏のバナナ化」

もうかれこれ3週間ほど前になるのですが、以前僕にサトイモをくれた柔道の女師匠から銀杏を山盛り頂戴しました。

思い起こせば30年前、台風が来ると両親に銀杏拾いを拝命し、近くの神社に両手に軍手、バケツをぶら下げ繰り出したものでした。
神社の境内にはすでに足で中身が踏み出された、海辺に打ち上げられたクラゲの様に無価値な「銀杏の袋」とも言うべき物体が無数に散乱し、または堆積しており、そのなかから先達の見落とした、まだ中にずっしりとした種が詰まっているつぶれていない銀杏を求めて、階段や水の枯れた排水溝を覗き込みながら彷徨い歩いたものです。
当時の我が家には「銀杏の中身だけを抜き出し持ちえる事を良しとせず!」と言う、個人的にはちょっと疑問を感じるような風格があり、僕の手にしたバケツは銀杏で、と言うよりむしろ銀杏を含んだどうしようもない汚物の様な悪臭を放つ劇物であっという間に一杯になるのです。
これを家に持ち帰り、家族総出で中身を踏み出し何度も水洗い。
ようやく取り出した種を今度は数日かけて天日干し。
工程そのものの面倒臭さもさることながらビニール袋により分けられた、使い道がないどころか触ればかぶれ、悪臭を放つオレンジ色の大量の物体の行方を案じて暗澹たる気分になる、と言うのが僕の子供の頃の銀杏体験そのものと言っても差し支えないと思います。
乾燥が完了した銀杏本体にしても、すぐにそのまま食することが出来ると言うような慎みがないモノではありません。その本丸は硬い殻に守られ、仮にその殻を割ることが出来たとしても、アツアツの時はすぐに剥がれるくせにちょっとでも冷めると剥がすのが非常に困難なる、食べるとせっかくの風味を台無しにする異様にガサツな薄皮で最後の最後まで美味しく食されることを拒み続けるのです。
そして銀杏の真骨頂とも言えるのは、そこまで困難で煩雑な工程を経て遂にそれを口に入れることが出来たとして、もちろん個人差はあるとしても、それに見合うほどの究極の美味かと言われたときに「え?俺は結構好きだよ?」とむしろ疑問に疑問で答えざるを得ないような微妙な味わいである、と言うその事実と言えるでしょう(個人的には完全に好物なんですが)。
ちょっと思い起こしただけでとんでもない長文になってしまいました…。我ながら自身の銀杏に対してつもりに積もった思いの丈に驚きを禁じえません。

で、ようやく本題なのですが、その銀座の杏を、まっとうなお値段で、その本質に見合った手間暇程度で口説き落とす方法を確立したのでここで御報告したいと思います。ただしこの方法が全ての銀杏料理に応用できるとは限りません。

工程
1. 銀杏割り器、にんにくつぶし器、ペンチ等で外殻にヒビを入れる。
2. 外殻を手で取り除く。
3. 必要に応じて電子レンジで加熱する。
4. フライパンに油を引き、薄皮に満遍なく油がしみるように炒る。
5. キッチンペーパーで軽くしごく様にすると薄皮が簡単にはがれる。
6. 食す。

必要なもの
1. 外側の劇物処理済の銀杏を譲ってくれる友人
2. 銀杏割り器またはにんにくつぶし器またはペンチ
3. 油少々
4. フライパン
5. キッチンペーパー

ちなみに僕は銀杏のバター炒めが好きなので、工程4でバターを使い、そのままの流れで薄皮を取ってしまってから塩を振って食べてます。
ところで銀杏って中毒になるそうですよ。あんまり夢中にならないほうが身のためですね。 僕は相当夢中になってるんですけど。

くれぐれもヤケドに気をつけて。

2009年11月20日金曜日

空中散歩

ひーこら言いながらばさばさ藪を漕いだり、緊張と恐怖で奥歯をかみ締めながら急峻な崖をよじ登ったりするのも大好きなんだけど、たまにはお金を払って誰かにどこかへ連れて行ってもらおうなどと考えてみた。
当たり前だけど、25USD位をはらってあとはのんびりしてるだけ。何もしなくても気球はすごいスピードでぐんぐんあがってゆきます。

これまた当たり前だけど、気球は地上にウインチで繋がれています。25USD程度では僕に何の自由があるはずも無く。
生殺しだよなぁ~。


2009年11月4日水曜日

紅葉狩りのはずが…。

失恋した友人が「山にでも登りたい」と言うので馬鹿正直に手近でかつそれなりに達成感のありそうな物件を調べてみたところ、奥多摩に手ごろな山を発見。時期も時期だし、一応数日かけて情報収集をして準備をしていたのですが、いざ前日になると件の友人から「疲れていると足元危ないですし…。」などとのたまうメールを着信。
「お前はいったい何を言っているんだ?」のミルコ画像が一瞬脳裏によぎるも、「一人の方が気楽だし。」と本末転倒ではあるけれど、すばやく合理的な結論に短絡すると3時間ほどの睡眠の後、中央線、下りの始発に乗り込むと一路奥多摩を目指しました。
奥多摩駅で四半刻ほどの待ち時間の後、西東京バスに乗り込み多摩川沿い、そしてやがては奥多摩湖沿いのワインディングを揺られること35分。7時10分に鴨沢にある雲取山の登山口に到着です。
本日のターゲットは標高2017m、11:30までに目処が立たなければ頂上は諦めて帰投することに決めてぼちぼちと歩き始めます。
色づき始めた山肌に朝日が当たるともやが立ち上り、つられて僕も気分が高揚してくるのを感じます。
針葉樹と広葉樹の間を縫う登山道をひた歩き、少しずつ高度を稼いでゆくと山陰側の斜面が次第に紅く色づき始めます。
2時間も登るといつの間にか登山道や日陰の斜面は雪に覆われ、赤やオレンジに色づいた広葉樹の鮮やかな色合い、朝靄とそれらに乱反射する陽光と相まって幻想的な景色を生み出していました。
前日の11月2日は都内では激しい雨が降ったのですが、急激に低下した気温のせいで、ここ奥多摩の山々にはそれは雪となって降りしきったようです。
雪とモミジ。
子供の頃に見た記憶が頭の片隅にありますが、はたしてそれは何時のことだったのか、何処で目にした景色なのか思い出すことが出来ません。
3時間程歩いた所でお湯を沸かせ、砂糖をたっぷり入れた紅茶で小休止。
地図を広げて現在位置の確認をすると、それほど悪いペースでもありません。
体が冷える前に荷物をまとめると再び頂上目指して歩き始めます。
稜線に出ると、それまで木々の梢越しに見えていた富士山の全貌が見渡せるようになりました。時折その斜面が陽光を浴びて白く硬く輝き、「アレを登るのは大変だなぁ…。」とやがては挑戦したい冬の富士登山で対面するであろう困難にいささか不安を覚えるものの、幸い今の自分の足元の雪はクラストもしておらず、そして何より気温は低いもののほぼ無風と言っても良い状態で、このままのペースで行けば無理なく日帰りのペースで頂上までたどり着きそうです。
ふもとではまだ緑色だった木々も、高度を上げるにつれて黄色・オレンジ・紅とその装いを変えてきましたが、稜線上に出るまでに、一部の針葉樹を残してその葉はすっかりと落ちてしまい、針金の様な細い枝々がむき出しになっています。
そして頂から百数メートルほどの範囲に生えた木々の枝には真っ白な雪が降りかかっており、久しぶりに目にするこの光景に、懐かしいと言うよりも新鮮な感動が沸き起こってきました。
紅葉狩りに来たつもりの雲取山でしたが、その頂上はちょっとした雪山になっていて、本体よりも豪華なオマケがくっついてきたような嬉しい散歩となりました。

2009年10月27日火曜日

遭難?

ヘッドライトを買ったんです、僕にしては珍しく結構ちゃんとしたやつを。今まで夜道や夜山を歩くときは基本的にでかい懐中電灯を振り回していたのですが、かさばるし片手がふさがるし、そしてあんまり明るさ長持ちしないので。
明るさは流石に6v駆動のクリプトン球の懐中電灯のほうが明るい気がするのですが、ヘッドライトは使い方を基本的にアウトドアに限定したブツを選んだので、使ってみるとすごく使いやすいんです。
で、そうすると色々試してみたくなるじゃないですか?そんなわけでイキナリ山に行くのも危ないので、完全に日没してから名越えの切り通しに行ってきました。
…。
…。
…。
いや、名越えの切りとおし、今まで多分7~8回は歩いたことあるんですけど、なんか入り口からして色々雰囲気が変わってまして…。
猿寺の奥のお墓まで行くものの切り通しへの入り方が分からない!
お墓の中を10分くらいオロオロ、ウロウロ。
知人と待ち合わせが控えていたのでやむを得ず引き返しましたとさ。
いや、マトモな山の中でなくて良かった、良かった。

2009年10月20日火曜日

JSTX-3

明日から一週間ほどロスなので、今日は珍しく実家に篭って荷物を作ったり、向こうで進めたい仕事のデータをノートPCに移したり。
体をすこしは動かしたかったので、パッキングの合間を縫って二子山から森戸川林道を抜ける10kmほどの山歩きをしてきました。
じつはこの森戸川林道、今年の3月にウグイスの鳴声を録音しに行ったのですが、その際に森戸川林道側から二子山まで抜けようと試みたものの、「幾らなんでもこの沢は細すぎでは?」とルートに自信がもてず引き返したことがあったのです。そこで今回は反対の南郷側から二子山経由で森戸川林道に下ってみました。
わずか10km。時間にしてたった2時間のお気軽ウォーキングですが、湧き水が沢になり、やがては小川に、そして遂には川になるその工程を眺めながらの散歩は変化に富んで楽しいものですね。
でも、このあたり一帯を「三浦アルプス」とか「葉山アルプス」と呼ぶらしいのですが、それは流石にちょっと無理があるのでは…?

2009年10月16日金曜日

珍客

潮を調べてはいたものの、出発を予定していた前後に立て続けにメールが入ってしまいその対応に追われていたら、すっかり家を出るタイミングを逸してしまいました。
なかばヤケクソ気味に家を出て、網を投げるとなにやらエライ手応えが!「巨大ガザミか!?」といい歳こいて色めきたつのも束の間、まったくをもってエイでした。
「え~い、煮付けにしてくれるわ!」と自宅に持って帰ってみたものの、写真を撮ったりしていたら料理するのが面倒なような気の毒なような。
「達者で暮らせい!」と再び海にお引取り願いました。
ガザミはまだなんですかねぇ。

招かれざる者

すっかり気温が下がってきたので「そろそろ行かんと機会を失うなぁ」とばかりにカニ網を投げてきましたが結果は惨敗。
小さなタイワンx2匹と巨大なモクズガニx1匹。
しばし一緒に江ノ島眺めた後にお引取り願いました。

2009年7月26日日曜日

猫嵐

おお!久しぶりのズズネタですか!?
いえ、違うんです。リオのハウスにここ数日、黒猫が出没するようになりまして、特に何をしてやった訳ではないのですが、えらく懐かれてしまっています。
朝の6時過ぎになるとハウスの周りで僕が起きてくるのを待っていて(?)、その後2時間ばかり遊ぶのに付き合わされたり、毛並みを整えさせられたり。
僕がPC叩いている間は、僕の素足に寄りかかって毛づくろいなどしているのです。
おそらく以前のこのハウスの住人のペットか、近隣の飼い猫ではないかと思っていますが、黒猫は本当におおらかで人懐っこいですね。

また、ハウス周辺を縄張りとする 別の猫もおりまして、コイツは数日前に庭を闊歩しているのを目撃したときはカメラを向ける前に走り去ってしまうほど用心深い猫で、今朝は僕の足元で黒猫が遊んでいたのを「おめぇ、人様の縄張りでケツモチ頼んでいい度胸じゃねーか。」って感じで遠巻きにじっとこちらを眺めておりました。
バッハ地区は直ぐ裏手にはティジュカ・フォーレストなどと呼ばれる広大な森林地帯が迫っており 、食事に出かける10分程度の散歩でも運がよければ多様な生き物を目にすることが出来ます。
先日は電話線の上に3匹の小型の猿がいたのですが、カメラを持っておらず写真を撮れずじまい。
それ以来、片時もカメラを手放さないように心がけていますが、治安との兼ね合いもあってそれも結構難しいものがあったり...。
なんて、ブログを更新しているさなかに件の黒猫が戻ってきて、おなかの上で喉を鳴らしています...。

2009年7月11日土曜日

Pedra da Gávea

リオ・デ・ジャネイロのバッハ・エリアにペドラ・ダ・ガヴェアと呼ばれる山があります。

この山はリオの柔術家にとってはちょっとした聖地でありまして、なんでもグレイシー・トレーニングだかのビデオにはこの山を駆け巡り、よじ登る一族の映像が見られるとかなんとか。
僕も今回、リオに来る前にジョンに「俺が若い頃はゴルド達と一緒にペドラ・ダ・ガヴェアに週に二回、登りに行ったもんだよ。お前もゴルドのアカデミーに行くならペドラ・ダ・ガヴェアに登ることになるだろうな。信じられないようなすばらしい景色の山だぞ。」と言われていたので結構楽しみにしていたのですが、現在のゴルドのアカデミーでは、みんなで一緒に駆け登る、というようなトレーニングは行われていないらしく、有志が各々、頂上までではなく見晴らしの良い中間地点まで、もしくは程よいところまで登っては引き返す、といった感じで行われているようでした。
そこで、同宿のカナダ人、ジェイと一緒に、とりあえず登ってみようか、という話になり先日巡礼に繰り出しました。
山のふもとは鬱蒼としたジャングルのような雰囲気で、一応トレイルがあるために明るいうちであれば道に迷うといったような心配はなさそうな雰囲気です。
オランウータンあたりがかじりついていそうな巨大な果実が巨木に絡み付いていたり、昆虫とも鳥ともちょっと判断しかねるさまざまな鳴き声、羽音に森中が満たされていて、”ブラジル”と言う言葉から僕がすぐに連想するようなマナウス、アマゾン流域のいわゆる熱帯のジャングルとは雰囲気が違うのだろうけど、それでも今まで体験したことのあるいかなる森林とも異なる雰囲気を十分に楽しみながら、ひたすら山道を登って行く訳です。
確かに部分々々、それなりに階段状に土留めがしてあったりもするのですが、基本的にかなり「自己責任でどうぞ」的な道のりになっておりまして、「ああ、日本だったら”危険につき立ち入り禁止”ってなってるな。」なんて思いながら、時折先頭を交代しながら頂を目指してしがみついたりよじ登ったり。
リオに来てからしばらく天気に恵まれず、毎日降雨があったのですが、この3日ほど晴天に恵まれ、おかげで足元は適度に乾燥しているのが救いです。
登り始めて2時間半くらいで木々に覆われた比較的緩やかなセクション(それでも結構ハードでしたが…。)は終わりを告げ、いよいよ”Pedra”に取り付くわけです。
ところが、このペドラ、勾配が半端ではない!
下から見上げると垂直に見え、実際のところは精々60度~80度位なのでしょうが、素人の僕にしてみると「これ、登りはいいけど、降りられなくなるんじゃないの?」と深刻な恐怖を覚えるほど。
前日にペドラ・ダ・ガヴェアの話をしていた地元のブラジル人が「あそこ、上のほうでは結構沢山死んでるから気をつけてね。」と微笑みながらも真剣なまなざしで言っていたのがこの時になって頭の中で何度も反芻されました。
「これはちょっとばかり本気にならないと死んじゃうな。」と覚悟を決め、ジェイと二人で何度もルートを検討し、荷物のハーネスが予想外のところに引っかかったりしないようにお互いにチェック。
20分ほど休息をとって、いよいよペドラに取り付きました。
写真で見ると、岩場を這っている様に見えますが、かなり命懸けです。
風が無いのが幸いで、強風だったらとても怖くて登れません。
"Jay, if I found you falling down, I wouldn't help you, sorry."
"It's all right. Save yourself."
ホールドに溜まった小石や砂を、帰りの為に払い落としながら、慎重に慎重に登って行きます。
フリー・クライミングの経験者なら、きっとなんてことの無い壁なのでしょうが、何せ二人とも唯の素人です。
恐怖と緊張で心をすり減らしながらも壁を登りきって崖沿いの幅40cm程の小道を歩き、とうとう無事に山頂に到着です。
かなたにコルコバードの丘のキリスト像が見えます。
山頂に到着したのが4:40PM頃。
「果たして無事、降りられるのだろうか?」と考えつつ軽く食事をして体力を回復させます。
"Ok, I'm ready to die."
"Is it common way to say in Japanese?"
"I don't know man, it is just how I feel right now."
最大の難所と思われた岩壁も、無事に通過。
暗闇の中の下山は不可能なので、明るいうちにとひたすら山を駆け下ります。
途中で息を呑むような夕日に目を奪われるも、のんびり日没を楽しむ時間的な余裕はありません。
途中でストイックな雰囲気の登山者とすれ違い、会話もそこそこに歩き続けます。
あっという間に暗くなり、木々の向こうにリオの夜景が広がり始めます。
そうです…。
遭難しました。完全に。
この暗さではもはやトレイルをたどることは不可能です。
ジェイと二人でぽつんと体育座りで月明かりを待ちます。
ちなみにブラジルは今、真冬です。
リオは赤道直下ではないので夜の冷え込みはかなりの物です。
「これは結構厳しいことになるかなぁ。」と思いつつ、体温が下がらないようにあらゆる工夫をしながら2時間ほど夜空を眺めていると、運が良いことに山頂付近ですれ違ったドイツ人登山者が、懐中電灯で足元を照らしながら下山してくるではないですか!
後はストイックな彼の気分を害さないように気をつけながら、ジェイと二人で彼に続いて真っ暗な山道を下ること約2時間。
二人とも無事ハウスにたどり着きました。
なんとなく頭の中に「遭難するかも。」と言う考えは最初からあったので、一晩山で過ごすのも悪くないな、とも思っていましたが、無事というのが何よりですね。
真っ暗な山中でちょっと面白いものも見つけることが出来ました。
写真に捕らえることが諸事情から出来なかったので、こんど機会を見つけて写真を撮りに行こうかと思っています。

2009年7月3日金曜日

恐怖の報酬2

昨日、無事にリオに到着です。
アトランタの空港では、チェックインの際に「このビザ、期限切れてるわよ。」と。
おい、またかよ、と思いながら「ロスでもまったく同じ会話したんだよね。」と、時間があったので余裕を持って対応。10分位足止めされたけど、もちろんokが出て、無事搭乗。
若干フライトに遅れが出て、かつ荷物がなかなか出てこなかったため、待ち合わせのドライバーと落ち合えなかったり、何やかんやありましたが、リオは天国でした。

現ゴルドー・コヘアの生徒でジョン・マチャドのアカデミーでは僕の兄弟子にあたるデニスがアレンジしてくれた宿泊などはまさに完璧の上を行くレベルのもので、日の良くあたる広大な庭をもつ”ハウス”の清潔な一室をあてがわれ、シャワー、ランドリー、キッチンx2、冷蔵庫x2、WiFiと生活に必要なものがここには何でもそろっています。
その上、チェックインのときに部屋に通され、日が降り注ぐベッドの上に、きれいなバスタオルと石鹸、そして新品のギがおいてあるのに気づいたときには言葉に表せない感謝と喜びの気持ちが沸き起こりました。

かなり無理なスケジュールでデニスに今回のステイをアレンジしてもらったため、7日からは部屋を出て、共有スペースで寝ることになっているのですが、基本的に野宿のときはテントすら持ち歩かない僕からすると、このハウスの中はどこも快適さで満ちていて何の不満もありません。
朝8:00に歩いて1分のゴルドーのアカデミーに行き、昼前まで練習。戻ってランドリーをしながら、レストランで格安のブラジル料理を頬張り、昼寝をし再び夜18:00、20:00と練習をし、夜は同じく柔術の修行に各国からハウスに来ている連中と雑談し就寝。
柔術家にとって、これ以上の贅沢と言うものを考えることが出来ません。
恐怖の報酬は、僕にとってはこの上ないモノでした。

2009年7月2日木曜日

オーパ!オーパ!

世界最大の河川、アマゾン河。
いまだに人間の支配が及ばない、最後の秘境の一つではないでしょうか。

アマゾンというと、真っ先に僕の頭に浮かぶのはさまざまな色彩のカエル。

アマゾンと言えば、ピラーニャ。
強靭な顎で、フィッシングナイフに歯形を付けるという河のギャング。
アマゾンと言えば、淡水魚最大の大きさに成長すると言うキャット・フィッシュ。巨大な口で何でも飲み込む掃除機のような輩です。
アマゾンと言えばタラバガニ。英語ではKing Crabと呼ばれるまさにカニの王様です…。
え?アマゾンにタラバガニ?
あ、すいません、これらの写真はアマゾン河で撮影したものではなく、遠くアマゾンに思いを馳せながら、ジョージア州はアトランタ、アトランタ水族館で撮影したものです。
だって、結局新たにアレンジされた乗り継ぎ便の時間が夜の9:35発ですよ?
それまでホテルに篭っているのももったいないじゃないですか。
幸い空港から市営のトラムが出ているので、ホテルのシャトルバスと併用して、ちょっと時間をつぶしがてら、アトランタ観光をしてきました。
正直言って、アトランタ、カメラを持ってきたことをしこたま後悔するような雰囲気たっぷりの街でした。きれいなところはきれいなんですけど、トラムの出口から出て、警官に道を聞いたらど~ゆ~訳か、かなりとんでもないところに行ってしまいまして、僕も齢35にして昼真からこんなところで何しているんですか?と言われたら胸をはって何かを言える様なモノでもないのですが、そんな意味ではそれこそ僕をもうちょっと経済的に追い詰めて、かつ肉体的に大いにビルドアップしたような方々が、じっと僕のカメラといでたちを見比べて、明らかに何か頭の中で高速で損得勘定をしているような…。
全米で1・2を争う凶悪事件の発生率を誇る都市なんですよね、アトランタ。
単に休暇を利用して公園の脇などで日光浴をしていただけなのかもしれませんし、僕の自意識過剰ですね、きっと。
で、そんなアトランタなのですが、全米を代表するさまざまな企業がその本社を置いていることでも有名らしいです。
そこで、日本一のコーラー消費量を誇る僕として、きっと二度とこないだろうからとコーラ・ミュージアムにも行ってきました。
正直なところ、相当楽しかったです。
入り口を入るとすぐにスタッフのオネーさんがにこやかにコカ・コーラの歴史などを説明してくれて、質問コーナーなんかもあるんです。
「ではコカ・コーラ社が二番目に発売した飲料、分かる方いますか~?」みたいなかんじで。
で、コーラ・フリークを自称する方々が我先にと手を上げて、
「はい、ではそちらのブルーのシャツのご婦人、どうぞ~。」
「ペプシ!」
とか。
でも、こう言った答えを受け流すのが、ものすごく上手なんですよ、さすがに。
かなり楽しんでしまいました。
で、そのあとHappy Factoryとか、そんな名前のショート・ムービーを見たら、あとはフリーツアー。
僕は律儀にボトリング・セクションとかで、どのように瓶詰めしているのかとかを見て回りましたが、8割がた、試飲コーナーに直行してましたね…。
でも、試飲コーナー、ミュージアムを名乗る割にはそれほど充実しているとも思わなかったのですが、「まったく知らない!」って飲料がいろいろあって、これまた楽しかったです。
試飲コーナーに群がる子供の行動観察していると、コップに注いでは飲まずに捨てちゃったりとか、「あれ?この子は自分でやってることの意味、分かってるのかな?」と言うような子も何人かいたりして。
でも、やっぱり本家コーラが一番おいしかったです。