2010年9月18日土曜日

内弟子生活?

9月に入ってベッドで寝たのは5日くらいかな。あとは毎日自分の道場で寝袋広げて寝ています。
忙しいのか?といえば忙しいのですが、忙しさよりも面倒くささが道場で寝てしまう一因かも。
毎朝起きて内装and/or翻訳関係の仕事、夕方に小一時間昼寝して7時半から11時まで道場開けて、終わったら仕事のチェックして就寝。
かなり規則的なサイクルで生活しています。
やってもやってもやらなくてはいけない作業がまだまだ残っていて、先を見すぎると精神的にしんどくなりそうなので、じっと足元を見つめて一歩一歩進めてゆくしかないですね。
何も無かったコンクリートの床に今ではマットが、キャンパスが張られ、かつては使い道のない流しのあったところにはシャワーと洗濯機と、そして更衣室が。今にも人がぶつかってガラスが割れてしまうのでは、と思えたガラス戸の前にはしっかりとした鉄製のフェンスが。そしてノートPC一台で一杯だったアルミの作業台のかわりに壁に沿ってぴったりと、そしてしっかりと作られた受付テーブルがあります。

そして何よりも、まっさらだった僕の道衣の胸には頂柔術のパッチが。

2010年7月20日火曜日

頂柔術

ご無沙汰しております。
5月末にラスベガスに行きそのまま6月中旬までロスで柔術修行をしてました。
師匠のジョン・マチャドに"It is the time to start your new mission. Gen, wear black belt."と黒帯を拝命し、ばたばたと帰国。
奇しくもジョンが別れ際に"It's all right. There is a place waiting for you."といったとおり、日本に帰国した翌日にお世話になっている方に道場に適した物件を紹介していただき、そこからはとんとん拍子。この一月と言うもの、日中は翻訳、道場オープンの準備、夜は柔術の稽古と僕としては多忙な日々を過ごしておりました。
ちょっと個性的な面もある物件なのですんなり行かない部分もあったのですが、地域に密着したアカデミーを目指している僕のベクトルに合致する、僕が長年お世話になった和術慧舟會東京本部、そしてリオのゴルドー・コヘアのアカデミーを髣髴とさせるような雰囲気もあり、多少の苦労はあるものの、自分の道場を出す準備と言う楽しい日々を過ごしています。
フェンス、マット、キャンバス、シャワーと言った道場の内側の部分の手配は大体終わったので、昨日から看板作りを開始しました。
白くて粘り強く作業性の良いヒバ、響きからして日本的なヒノキ、木目の美しいトチといろいろな材がありますが、知人や地元の材木屋さんに探してもらったりしているなか、新木場の材木卸で僕が一目惚れしたのはスギでした。
スギはやわらかくて軽いので扱いは楽なのですが、正直なところ対候性、耐久性を考えると外看板にはあまり向いていないかもしれません。道場の看板はそうそう架け替える類のものでもないと思うので、雨が降ったら取り込むぐらいの気持ちで大事にして行きたいですね。正直な話、自分で看板を彫っていたら、なにせこのところいくらでもやり直しの利くデジタル素材ばかり弄っていたせいで、自然素材の持つ真剣さに心を奪われてしまいました。「道場の看板はそうそう架け替える類のものでもない。」たしかにそれはそうなのですが、時間が出来たら、そしてまた一目惚れするような材を見かけたら、もう一枚彫ってしまいそうです、看板。
8/7 追記
頂柔術のホームページはこちらまで!

2010年5月6日木曜日

3777m!?

去年の暮れからずーっと狙っていた富士山、気圧配置を観察していたのですがGW中の5月2日、3日と列島全体が高気圧に覆われ「これなら俺でもいけるかも!」と言う状態に。2号天気図用紙でも低気圧が枠内に殆ど無い!
日曜の朝は普通に稽古して夕方から荷造り開始。
1時間ほど仮眠を取って朝5時にバイクにまたがり一路富士山を目指して家を出ました。
GW真っ只中なので、どうせ渋滞につかまって富士宮口に到着するのは昼過ぎだろう、なんて思っていたのですが…。

なんと2時間30分ほどで到着してしまいました。 (あ、ぜんぜん飛ばしてないですよ。僕は視力が悪いのでちょー安全運転です。)
新六合まで荷物を揚げて幕営準備。
それほど風は強くないけどちょっとペグの効きが甘い感じがしたので、石を雪に埋め込みペグダウン。のんびり作業したにも関わらず8時には作業が完了してしまいました。
時間は充分あるけれど、2400mまで一気に上がってしまった上に昨日は1時間しか寝ていません。今日は無理をしないで2600m付近で昼寝と散歩で時間を潰して高度順化をすることにしました。
12時までテントの中でウトウトしてから、一度新五合目の食堂まで降りてしょうが焼き丼を食べ、駐車場に停めたバイクにデポしてあった2ℓの水分を荷揚げします。雪は十分にあるので水は幾らでも作れるのですが、時間があったものですから…。
テントに戻ると今度はのんびりと宝永山と火口に向かって散歩をしました。
このあたりはすでに標高2600mオーバーで、冬に登った金峰山よりも高いんですよね…。
14時40分ころから高度2000mあたりに発生した層雲が見る見るうちに斜面を駆け上がり、2300m辺りにある樹林帯の木々が一本々々と白いもやに絡め取られていく様子を感動しながら観察しました。
層雲は瞬く間に6合目近辺まで駆け上がり、ふと空を見上げるとさっきまで群青色だった空にもうっすらと 巻雲が出ているようです。
体が湿るのを避けてテントに戻りながら「明日の行動は3時までには終了だなぁ。」と漠然と考えながら日没までテントのなかでゴロゴロ、ウトウト。
6時に食事を済ませて一眠りしてからテントの外を覗くと駿河の夜景が広がっていました。
風もそれほどではなく気温も2度ほど。
すっかり安心して再びシュラフにもぐりこみ、ぐっすり眠りにつきました。
翌朝4時に目を覚まし、紅茶と菓子パン、ドライフルーツで手早く朝食を済ませます。
荷造りをしてからテントの中を軽く片付け 地図を眺めてルートの再確認。
5時にうす曇の新六合・富士宮登山口を登り始めました。
六合目を過ぎたあたりからはほぼ完全な雪景色。一歩々々、ゆっくり呼吸を確かめながらひたすら上を目指します。
七合目を過ぎ八合目のあたりから斜度がちょっときつくなり、雪質が斜面によって多様に変化するようになり、アイゼンが良く効きそうなルートを見極めるために度々足を止めて斜面を観察しながら進みます。
九合目あたりまでは3時間ほどで順調に高度を稼ぐことができました。
九合目を過ぎると、斜度も益々厳しくなり、加えてガチガチの氷、足を乗せると雪崩れそうな腐れ雪、アイゼンは良く効くけど風が吹いたら一発で持ってゆかれそうなクラストが複雑に入り混じった斜面に少々苦労します。
あんまり歩きやすそうな所ばかりを追っていたら、九合五尺の後半で結構厄介な氷の壁に突っ込んでしまいました。
カメラを取り出し写真を撮って気持ちを落ち着けると、四つん這いになってアックスのブレードと石突を効かせながら右へ、右へと慎重にトラバース。落ちたら止まらないという緊張感からアドレナリンが分泌され、今回最もややこしい局面は体力的にはずいぶん楽にこなすことができました。
「ここ、無事に降りれるかな…。」と若干不安を覚えながら11時過ぎに火口まであがると、日本最高峰の剣ケ峰まであとちょっと!
200m下の火口に転がり落ちないように気をつけながら一歩々々ドーム跡を目指して歩を進め、11時26分、積雪のお陰で3777mくらいに割り増しされた日本最高峰の頂を踏みました。
山頂で30分ほど休憩&お食事タイム。
下山のルート、特に九合目までのすこし厄介そうな部分を頭の中で整理して、体が冷える前に頂を後にしました。
九合五尺、九合目までは丁寧に、丁寧に歩いて下ると後は一気にシリセード!
岩や氷、風に雪が吹き飛ばされてむき出しになった地面を器用に避けながら、六合五尺あたりまで滑り降ります。
登りに6時間以上掛かった富士山も下りはたったの2時間半。
新六合目のテントに戻るとすぐにテントを撤収し、一路バイクで岐路につきました。
…。
…。
翌日起きたら顔の日焼けが酷く、頬や鼻の頭からなにやら汁がしたたっております。
夜、道場でかるーくスパーをしていたら、相手の道衣がサクッと鼻をかすっただけで、鼻の頭の皮膚、全部持ってゆかれました…。

2010年4月2日金曜日

シャーロット

ノースカロライナ州、シャーロットに来ています。
ここ数年来、時差ぼけに弱くなってしまい、今回もこちらに来てからずーっと3時間寝るとばちん!と目が覚めてしまっていたのですが、昨日の夕方は仕事も終わったこともあってうとうと昼寝をしていたら12時間ほど眠り込んでしまいました。
変な時間帯に目が覚めてしまったのでブログでぼやいて暇つぶしです。

本来の予定では4月2日に帰国の予定でしたが諸事情で帰国が一日延期され、昨日の午後はカメラ片手にホテルの周りをぶらつきました。

綺麗な街ですが、通りが一本変わるだけで途端に少し危なげな空気が漂います。カメラを持って歩くのもちょっとまずかな...、といった感じで。そんな町並みを下手に刺激をするのが嫌なので写真でお見せすることが出来ないのですが。
ところで今回、こちらに来てから一週間、とある課題を己に課しました。
その課題とは「毎日バッファローウィングを食べること。」
一日に2度以上食べた日もあったので、単純計算で、この一週間で45羽程度のチッキンの両足が僕の胃袋に納まった計算になります。
おかげでほんの少しだけど、バッファローウィングのおいしさが分かってきたような。
快楽はただの信号。
幸福は努力の代償です。

2010年2月28日日曜日

奥秩父散歩

一週間ほど前になるのですが、山梨側から奥秩父を歩いてきました。
逗子発の始発で横浜、東神奈川、八王子、高尾で乗り継ぎ韮崎へ。結構遠いようですが8時半過ぎには韮崎に到着していました。駅前の交番に登山届けを提出し、改札隣のパン屋さんで菓子パンを3つほど購入したりとぶらぶら時間をつぶし、9:20発のバスに乗り込み一路、増富温泉郷へ向かいます。
10時半過ぎには終点の増富温泉郷に到着しますが、前回お正月に来た時とは違い、温泉郷から瑞牆・金峰山の登山口となる瑞牆山荘までのバスはこの時期は運行しておらず、沢沿いの綺麗に舗装された林道を7キロほど歩かなくてはなりません。
たいした距離ではないのですが、路面は完全に凍結し、そして延々と緩やかな上り坂。17~18キロのザックを背負っていることもあり、転ばないように気をつけながらひたすら登山口を目指します。靴を新調してまだまもなく、もちろん一週間程度の街中での足慣らしでは、まだまだ僕の足も靴もお互いに猫をかぶって牽制中。金山高原を過ぎる頃には踵に靴擦れが出来てしまった様子でした。もっとも、靴の形は入念にチェックして靴を選んだので、靴擦れといっても重心移動をすこし控えめにするだけで痛みを最小限に抑えることが出来たのですが。

初日の予定は大日小屋。ペースがあがらなければ富士見平でも良いかな、と考えていたのですが、無事に午後3時前に大日小屋に到着。幕営の準備をしつつ4時には気象情報をメモ。
水場は枯れていたので雪を溶かして水を作ったり食事を作ったり。食事を終える頃にはすっかり暗くなり、マットに寝転びながら天気図を作成。結構やることがあるんですね。
7時頃に一度寝袋にもぐりこみましたが10時前に寒さで目が覚めてしまいました。気温は-12度程。体温を上げるためにもう一度食事の準備をしながら外を覗くと物凄い星空です。視力が悪く、街中だと殆ど星が見えない僕ですが、それでも山の中では素晴らしい夜空を楽しむことが出来るのです。
鼻水を垂らしつつカレーパスタをほお張りながらしばし星空を堪能し、再び寝袋にもぐりこみ、こんどは深い眠りに落ちました。

朝4時半に目覚ましで目を覚まし、外を見るとまだ満天の星空。文句なしの快晴です。
すぐに準備に取り掛かります。ドライフルーツと甘い紅茶で朝食を終えると、行動用の紅茶を作りながら、昨日出来てしまった靴擦れの処置をします。左右の踵に直径2cm、特に右足は水泡状になっているので注意が必要な状態でした。エラスティック・テープに折り重ねたちり紙を貼り付け踵に巻きつけます。靴を履き、アイゼンを装着して様子を見たところ、足首を屈曲させた状態で体重をかけなければ痛みは出ません。痛みが出る可能性があるのは登り斜面のみ。これなら丁寧に歩けば対応できそうです。
今日はテント、寝袋など幕営装備を大日小屋にデポして金峰山の頂上を目指します。登頂後はデポした荷物をピックアップしたのち一気に富士見平まで降りてしまう予定です。夏山の標準コースタイムだと6時間も掛からない行程ですが、事前の情報では積雪は40~120cm。6時には行動を開始します。
7時に大日岩を通過し、太陽の光が差し込む前の幻想的なアイス・ブルーの森の中を深い積雪を踏みしめひたすら稜線を目指します。
砂払いの頭には8:30頃到着。いよいよここからが森林限界上の展望のある稜線歩きです。
千代の吹き上げと呼ばれる右手の急峻な岩肌も雪で凍てつき、その厳しい自然のありようは僕の貧弱な語彙ではとても表現することが出来ません。
幸運なことに殆ど風も吹いておらず、そして周りには雲もガスもなく最高の展望です。南アルプスの山々を右手に見ながら、一歩々々を確かめながら頂に向かって歩を進めてゆきます。
ほんの2600m程の山ですが、10:00時にその頂上に来る頃には空はすっかり蒼くなっていました。
何時までも景色を楽しみたい、何時までもこの場所に居る自分の気持ちの高揚をかみ締めたい、と言う気分もありましたが、本来ここは僕が生存できる場所ではありません。はい、ここは僕にとってはもはや宇宙です。
カチカチに凍った、韮崎の駅前で買った菓子パンを口の中でテルモスの紅茶で溶かしながら飲み込むと、自分の感情を押し殺しつつ10:30に下山を開始します。この時ばかりは普段は数ミリの僕の後ろ髪が数cmほどにも伸びるとか、伸びないとか…。
13:00に大日小屋に到着すると30分で荷物をまとめて富士見平を目指してさらに1時間ほど下山を続けます。
14:30、無事に富士見平に到着。富士見平には豊かな水場があり、ここまで来ると水や燃料の配分を考えなくても良いというのもあり、ちょっとした安堵感が沸き起こります。
水を汲みに行ったり、お湯を沸かしながらぼんやりしていると、あっという間に日没です。山の中ではどうしてこんなに時間がたつのが早いのでしょうか…。
はっ!ひょっとしてこれがウラシマ効果!?

2010年1月27日水曜日

おくればせながら…

明けましておめでとうございます、と言うにはあまりにも遅くなってしまいました。
年末はお仕事で年を越したのは例によって電車の中。
元日は丸一日のんびりして、2日&3日と山梨の方を散歩して来ました。
神奈川に住んでいると、ここ数年の温暖化のせいかなかなか雪景色そのものを見る機会がないのですが、さすがは山梨、ちょっと高い所に足を伸ばすと素晴らしい雪景色でした。

沢は完全に凍結し、降り積もった雪の上に小ぶりな松ぼっくりが転々と転がっており、なんとものどかな風景が広がっています。
残念ながら山頂は軽く吹雪いていた為、遥かな山々を眺めて楽しむ、と言うわけには行きませんでしたが、やっぱり自然は良いですね。
僕にも木々にも岩にも、その冷たさは公平でした。

2009年12月1日火曜日

特願1973-0831XX 「銀杏のバナナ化」

もうかれこれ3週間ほど前になるのですが、以前僕にサトイモをくれた柔道の女師匠から銀杏を山盛り頂戴しました。

思い起こせば30年前、台風が来ると両親に銀杏拾いを拝命し、近くの神社に両手に軍手、バケツをぶら下げ繰り出したものでした。
神社の境内にはすでに足で中身が踏み出された、海辺に打ち上げられたクラゲの様に無価値な「銀杏の袋」とも言うべき物体が無数に散乱し、または堆積しており、そのなかから先達の見落とした、まだ中にずっしりとした種が詰まっているつぶれていない銀杏を求めて、階段や水の枯れた排水溝を覗き込みながら彷徨い歩いたものです。
当時の我が家には「銀杏の中身だけを抜き出し持ちえる事を良しとせず!」と言う、個人的にはちょっと疑問を感じるような風格があり、僕の手にしたバケツは銀杏で、と言うよりむしろ銀杏を含んだどうしようもない汚物の様な悪臭を放つ劇物であっという間に一杯になるのです。
これを家に持ち帰り、家族総出で中身を踏み出し何度も水洗い。
ようやく取り出した種を今度は数日かけて天日干し。
工程そのものの面倒臭さもさることながらビニール袋により分けられた、使い道がないどころか触ればかぶれ、悪臭を放つオレンジ色の大量の物体の行方を案じて暗澹たる気分になる、と言うのが僕の子供の頃の銀杏体験そのものと言っても差し支えないと思います。
乾燥が完了した銀杏本体にしても、すぐにそのまま食することが出来ると言うような慎みがないモノではありません。その本丸は硬い殻に守られ、仮にその殻を割ることが出来たとしても、アツアツの時はすぐに剥がれるくせにちょっとでも冷めると剥がすのが非常に困難なる、食べるとせっかくの風味を台無しにする異様にガサツな薄皮で最後の最後まで美味しく食されることを拒み続けるのです。
そして銀杏の真骨頂とも言えるのは、そこまで困難で煩雑な工程を経て遂にそれを口に入れることが出来たとして、もちろん個人差はあるとしても、それに見合うほどの究極の美味かと言われたときに「え?俺は結構好きだよ?」とむしろ疑問に疑問で答えざるを得ないような微妙な味わいである、と言うその事実と言えるでしょう(個人的には完全に好物なんですが)。
ちょっと思い起こしただけでとんでもない長文になってしまいました…。我ながら自身の銀杏に対してつもりに積もった思いの丈に驚きを禁じえません。

で、ようやく本題なのですが、その銀座の杏を、まっとうなお値段で、その本質に見合った手間暇程度で口説き落とす方法を確立したのでここで御報告したいと思います。ただしこの方法が全ての銀杏料理に応用できるとは限りません。

工程
1. 銀杏割り器、にんにくつぶし器、ペンチ等で外殻にヒビを入れる。
2. 外殻を手で取り除く。
3. 必要に応じて電子レンジで加熱する。
4. フライパンに油を引き、薄皮に満遍なく油がしみるように炒る。
5. キッチンペーパーで軽くしごく様にすると薄皮が簡単にはがれる。
6. 食す。

必要なもの
1. 外側の劇物処理済の銀杏を譲ってくれる友人
2. 銀杏割り器またはにんにくつぶし器またはペンチ
3. 油少々
4. フライパン
5. キッチンペーパー

ちなみに僕は銀杏のバター炒めが好きなので、工程4でバターを使い、そのままの流れで薄皮を取ってしまってから塩を振って食べてます。
ところで銀杏って中毒になるそうですよ。あんまり夢中にならないほうが身のためですね。 僕は相当夢中になってるんですけど。

くれぐれもヤケドに気をつけて。