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2010年9月18日土曜日

内弟子生活?

9月に入ってベッドで寝たのは5日くらいかな。あとは毎日自分の道場で寝袋広げて寝ています。
忙しいのか?といえば忙しいのですが、忙しさよりも面倒くささが道場で寝てしまう一因かも。
毎朝起きて内装and/or翻訳関係の仕事、夕方に小一時間昼寝して7時半から11時まで道場開けて、終わったら仕事のチェックして就寝。
かなり規則的なサイクルで生活しています。
やってもやってもやらなくてはいけない作業がまだまだ残っていて、先を見すぎると精神的にしんどくなりそうなので、じっと足元を見つめて一歩一歩進めてゆくしかないですね。
何も無かったコンクリートの床に今ではマットが、キャンパスが張られ、かつては使い道のない流しのあったところにはシャワーと洗濯機と、そして更衣室が。今にも人がぶつかってガラスが割れてしまうのでは、と思えたガラス戸の前にはしっかりとした鉄製のフェンスが。そしてノートPC一台で一杯だったアルミの作業台のかわりに壁に沿ってぴったりと、そしてしっかりと作られた受付テーブルがあります。

そして何よりも、まっさらだった僕の道衣の胸には頂柔術のパッチが。

2010年7月20日火曜日

頂柔術

ご無沙汰しております。
5月末にラスベガスに行きそのまま6月中旬までロスで柔術修行をしてました。
師匠のジョン・マチャドに"It is the time to start your new mission. Gen, wear black belt."と黒帯を拝命し、ばたばたと帰国。
奇しくもジョンが別れ際に"It's all right. There is a place waiting for you."といったとおり、日本に帰国した翌日にお世話になっている方に道場に適した物件を紹介していただき、そこからはとんとん拍子。この一月と言うもの、日中は翻訳、道場オープンの準備、夜は柔術の稽古と僕としては多忙な日々を過ごしておりました。
ちょっと個性的な面もある物件なのですんなり行かない部分もあったのですが、地域に密着したアカデミーを目指している僕のベクトルに合致する、僕が長年お世話になった和術慧舟會東京本部、そしてリオのゴルドー・コヘアのアカデミーを髣髴とさせるような雰囲気もあり、多少の苦労はあるものの、自分の道場を出す準備と言う楽しい日々を過ごしています。
フェンス、マット、キャンバス、シャワーと言った道場の内側の部分の手配は大体終わったので、昨日から看板作りを開始しました。
白くて粘り強く作業性の良いヒバ、響きからして日本的なヒノキ、木目の美しいトチといろいろな材がありますが、知人や地元の材木屋さんに探してもらったりしているなか、新木場の材木卸で僕が一目惚れしたのはスギでした。
スギはやわらかくて軽いので扱いは楽なのですが、正直なところ対候性、耐久性を考えると外看板にはあまり向いていないかもしれません。道場の看板はそうそう架け替える類のものでもないと思うので、雨が降ったら取り込むぐらいの気持ちで大事にして行きたいですね。正直な話、自分で看板を彫っていたら、なにせこのところいくらでもやり直しの利くデジタル素材ばかり弄っていたせいで、自然素材の持つ真剣さに心を奪われてしまいました。「道場の看板はそうそう架け替える類のものでもない。」たしかにそれはそうなのですが、時間が出来たら、そしてまた一目惚れするような材を見かけたら、もう一枚彫ってしまいそうです、看板。
8/7 追記
頂柔術のホームページはこちらまで!

2010年4月2日金曜日

シャーロット

ノースカロライナ州、シャーロットに来ています。
ここ数年来、時差ぼけに弱くなってしまい、今回もこちらに来てからずーっと3時間寝るとばちん!と目が覚めてしまっていたのですが、昨日の夕方は仕事も終わったこともあってうとうと昼寝をしていたら12時間ほど眠り込んでしまいました。
変な時間帯に目が覚めてしまったのでブログでぼやいて暇つぶしです。

本来の予定では4月2日に帰国の予定でしたが諸事情で帰国が一日延期され、昨日の午後はカメラ片手にホテルの周りをぶらつきました。

綺麗な街ですが、通りが一本変わるだけで途端に少し危なげな空気が漂います。カメラを持って歩くのもちょっとまずかな...、といった感じで。そんな町並みを下手に刺激をするのが嫌なので写真でお見せすることが出来ないのですが。
ところで今回、こちらに来てから一週間、とある課題を己に課しました。
その課題とは「毎日バッファローウィングを食べること。」
一日に2度以上食べた日もあったので、単純計算で、この一週間で45羽程度のチッキンの両足が僕の胃袋に納まった計算になります。
おかげでほんの少しだけど、バッファローウィングのおいしさが分かってきたような。
快楽はただの信号。
幸福は努力の代償です。

2009年12月1日火曜日

特願1973-0831XX 「銀杏のバナナ化」

もうかれこれ3週間ほど前になるのですが、以前僕にサトイモをくれた柔道の女師匠から銀杏を山盛り頂戴しました。

思い起こせば30年前、台風が来ると両親に銀杏拾いを拝命し、近くの神社に両手に軍手、バケツをぶら下げ繰り出したものでした。
神社の境内にはすでに足で中身が踏み出された、海辺に打ち上げられたクラゲの様に無価値な「銀杏の袋」とも言うべき物体が無数に散乱し、または堆積しており、そのなかから先達の見落とした、まだ中にずっしりとした種が詰まっているつぶれていない銀杏を求めて、階段や水の枯れた排水溝を覗き込みながら彷徨い歩いたものです。
当時の我が家には「銀杏の中身だけを抜き出し持ちえる事を良しとせず!」と言う、個人的にはちょっと疑問を感じるような風格があり、僕の手にしたバケツは銀杏で、と言うよりむしろ銀杏を含んだどうしようもない汚物の様な悪臭を放つ劇物であっという間に一杯になるのです。
これを家に持ち帰り、家族総出で中身を踏み出し何度も水洗い。
ようやく取り出した種を今度は数日かけて天日干し。
工程そのものの面倒臭さもさることながらビニール袋により分けられた、使い道がないどころか触ればかぶれ、悪臭を放つオレンジ色の大量の物体の行方を案じて暗澹たる気分になる、と言うのが僕の子供の頃の銀杏体験そのものと言っても差し支えないと思います。
乾燥が完了した銀杏本体にしても、すぐにそのまま食することが出来ると言うような慎みがないモノではありません。その本丸は硬い殻に守られ、仮にその殻を割ることが出来たとしても、アツアツの時はすぐに剥がれるくせにちょっとでも冷めると剥がすのが非常に困難なる、食べるとせっかくの風味を台無しにする異様にガサツな薄皮で最後の最後まで美味しく食されることを拒み続けるのです。
そして銀杏の真骨頂とも言えるのは、そこまで困難で煩雑な工程を経て遂にそれを口に入れることが出来たとして、もちろん個人差はあるとしても、それに見合うほどの究極の美味かと言われたときに「え?俺は結構好きだよ?」とむしろ疑問に疑問で答えざるを得ないような微妙な味わいである、と言うその事実と言えるでしょう(個人的には完全に好物なんですが)。
ちょっと思い起こしただけでとんでもない長文になってしまいました…。我ながら自身の銀杏に対してつもりに積もった思いの丈に驚きを禁じえません。

で、ようやく本題なのですが、その銀座の杏を、まっとうなお値段で、その本質に見合った手間暇程度で口説き落とす方法を確立したのでここで御報告したいと思います。ただしこの方法が全ての銀杏料理に応用できるとは限りません。

工程
1. 銀杏割り器、にんにくつぶし器、ペンチ等で外殻にヒビを入れる。
2. 外殻を手で取り除く。
3. 必要に応じて電子レンジで加熱する。
4. フライパンに油を引き、薄皮に満遍なく油がしみるように炒る。
5. キッチンペーパーで軽くしごく様にすると薄皮が簡単にはがれる。
6. 食す。

必要なもの
1. 外側の劇物処理済の銀杏を譲ってくれる友人
2. 銀杏割り器またはにんにくつぶし器またはペンチ
3. 油少々
4. フライパン
5. キッチンペーパー

ちなみに僕は銀杏のバター炒めが好きなので、工程4でバターを使い、そのままの流れで薄皮を取ってしまってから塩を振って食べてます。
ところで銀杏って中毒になるそうですよ。あんまり夢中にならないほうが身のためですね。 僕は相当夢中になってるんですけど。

くれぐれもヤケドに気をつけて。

2009年11月20日金曜日

空中散歩

ひーこら言いながらばさばさ藪を漕いだり、緊張と恐怖で奥歯をかみ締めながら急峻な崖をよじ登ったりするのも大好きなんだけど、たまにはお金を払って誰かにどこかへ連れて行ってもらおうなどと考えてみた。
当たり前だけど、25USD位をはらってあとはのんびりしてるだけ。何もしなくても気球はすごいスピードでぐんぐんあがってゆきます。

これまた当たり前だけど、気球は地上にウインチで繋がれています。25USD程度では僕に何の自由があるはずも無く。
生殺しだよなぁ~。


2009年7月3日金曜日

恐怖の報酬2

昨日、無事にリオに到着です。
アトランタの空港では、チェックインの際に「このビザ、期限切れてるわよ。」と。
おい、またかよ、と思いながら「ロスでもまったく同じ会話したんだよね。」と、時間があったので余裕を持って対応。10分位足止めされたけど、もちろんokが出て、無事搭乗。
若干フライトに遅れが出て、かつ荷物がなかなか出てこなかったため、待ち合わせのドライバーと落ち合えなかったり、何やかんやありましたが、リオは天国でした。

現ゴルドー・コヘアの生徒でジョン・マチャドのアカデミーでは僕の兄弟子にあたるデニスがアレンジしてくれた宿泊などはまさに完璧の上を行くレベルのもので、日の良くあたる広大な庭をもつ”ハウス”の清潔な一室をあてがわれ、シャワー、ランドリー、キッチンx2、冷蔵庫x2、WiFiと生活に必要なものがここには何でもそろっています。
その上、チェックインのときに部屋に通され、日が降り注ぐベッドの上に、きれいなバスタオルと石鹸、そして新品のギがおいてあるのに気づいたときには言葉に表せない感謝と喜びの気持ちが沸き起こりました。

かなり無理なスケジュールでデニスに今回のステイをアレンジしてもらったため、7日からは部屋を出て、共有スペースで寝ることになっているのですが、基本的に野宿のときはテントすら持ち歩かない僕からすると、このハウスの中はどこも快適さで満ちていて何の不満もありません。
朝8:00に歩いて1分のゴルドーのアカデミーに行き、昼前まで練習。戻ってランドリーをしながら、レストランで格安のブラジル料理を頬張り、昼寝をし再び夜18:00、20:00と練習をし、夜は同じく柔術の修行に各国からハウスに来ている連中と雑談し就寝。
柔術家にとって、これ以上の贅沢と言うものを考えることが出来ません。
恐怖の報酬は、僕にとってはこの上ないモノでした。

2009年7月2日木曜日

オーパ!オーパ!

世界最大の河川、アマゾン河。
いまだに人間の支配が及ばない、最後の秘境の一つではないでしょうか。

アマゾンというと、真っ先に僕の頭に浮かぶのはさまざまな色彩のカエル。

アマゾンと言えば、ピラーニャ。
強靭な顎で、フィッシングナイフに歯形を付けるという河のギャング。
アマゾンと言えば、淡水魚最大の大きさに成長すると言うキャット・フィッシュ。巨大な口で何でも飲み込む掃除機のような輩です。
アマゾンと言えばタラバガニ。英語ではKing Crabと呼ばれるまさにカニの王様です…。
え?アマゾンにタラバガニ?
あ、すいません、これらの写真はアマゾン河で撮影したものではなく、遠くアマゾンに思いを馳せながら、ジョージア州はアトランタ、アトランタ水族館で撮影したものです。
だって、結局新たにアレンジされた乗り継ぎ便の時間が夜の9:35発ですよ?
それまでホテルに篭っているのももったいないじゃないですか。
幸い空港から市営のトラムが出ているので、ホテルのシャトルバスと併用して、ちょっと時間をつぶしがてら、アトランタ観光をしてきました。
正直言って、アトランタ、カメラを持ってきたことをしこたま後悔するような雰囲気たっぷりの街でした。きれいなところはきれいなんですけど、トラムの出口から出て、警官に道を聞いたらど~ゆ~訳か、かなりとんでもないところに行ってしまいまして、僕も齢35にして昼真からこんなところで何しているんですか?と言われたら胸をはって何かを言える様なモノでもないのですが、そんな意味ではそれこそ僕をもうちょっと経済的に追い詰めて、かつ肉体的に大いにビルドアップしたような方々が、じっと僕のカメラといでたちを見比べて、明らかに何か頭の中で高速で損得勘定をしているような…。
全米で1・2を争う凶悪事件の発生率を誇る都市なんですよね、アトランタ。
単に休暇を利用して公園の脇などで日光浴をしていただけなのかもしれませんし、僕の自意識過剰ですね、きっと。
で、そんなアトランタなのですが、全米を代表するさまざまな企業がその本社を置いていることでも有名らしいです。
そこで、日本一のコーラー消費量を誇る僕として、きっと二度とこないだろうからとコーラ・ミュージアムにも行ってきました。
正直なところ、相当楽しかったです。
入り口を入るとすぐにスタッフのオネーさんがにこやかにコカ・コーラの歴史などを説明してくれて、質問コーナーなんかもあるんです。
「ではコカ・コーラ社が二番目に発売した飲料、分かる方いますか~?」みたいなかんじで。
で、コーラ・フリークを自称する方々が我先にと手を上げて、
「はい、ではそちらのブルーのシャツのご婦人、どうぞ~。」
「ペプシ!」
とか。
でも、こう言った答えを受け流すのが、ものすごく上手なんですよ、さすがに。
かなり楽しんでしまいました。
で、そのあとHappy Factoryとか、そんな名前のショート・ムービーを見たら、あとはフリーツアー。
僕は律儀にボトリング・セクションとかで、どのように瓶詰めしているのかとかを見て回りましたが、8割がた、試飲コーナーに直行してましたね…。
でも、試飲コーナー、ミュージアムを名乗る割にはそれほど充実しているとも思わなかったのですが、「まったく知らない!」って飲料がいろいろあって、これまた楽しかったです。
試飲コーナーに群がる子供の行動観察していると、コップに注いでは飲まずに捨てちゃったりとか、「あれ?この子は自分でやってることの意味、分かってるのかな?」と言うような子も何人かいたりして。
でも、やっぱり本家コーラが一番おいしかったです。

2009年6月30日火曜日

恐怖の報酬

昨日、ロスでの最後の晩に見た映画、RED SUNに出演していたのはイブ・モンタンではなくアラン・ドロンだったのですが。
学生でごった返すLAXで、間に合わないのではないかとやきもきしながら搭乗時間のぎりぎり前でチェック・イン。カウンターのお姉さんが僕のビザを「これ、期限切れているから。ブラジル入国できないから。」と訳の分からない指摘をしてきて、僕が「いや、これは発給の90日以内にブラジルに入国可能で、その後30日有効のビザだから。」と言っても「いや、ビザの期限が30日で、発給されたのが4月の末だからもう失効しているから。」と。
もちろん日本で南米旅行の代理業を専門とする方に相談してとったビザなので、そんな訳無いのですが、時間的にも切羽詰ってて、そのうえ「ちょっと確認してくるわ。」とどこかへ消えて戻ってきたら「間違いない。失効してる。二人に確認したけど二人とも失効と言っている。」と言うのです。
これから手荷物検査でまた長い列に並ばなければいけないこともあり、時間が無駄に出来ないのでビザの各項目を指差しながら説明し、「これは日本のブラジル大使館のオフィサーが言ってた事だよ。」と申し添えると、「もう一度確認させてくれ。」と。
で、戻ってきたら何のことは無い、「うん、これでブラジル入れるから。」と微笑んじゃったりしてるんです。いちいちイラつく若さも無いので素直に「あ~良かった。」と思っていたら、「ごめんね、私の経験不足だったわ。」とか可愛い言葉が飛び出してちょっとびっくり。ああ、いい旅になりそうだな、と思ったのが甘かったです。

食事をするまもなく飛行機に乗り込み、すぐに飛行機はタキシング開始。
滑走路で姿勢を整えると、おなじみの"All crews, prepare for departure."とキャプテンのアナウンスが。
すぐにジェットの振動と騒音が沸き起こり、飛行機がものすごい勢いで加速していきます。
あと少しで両翼に機体全体を支えるだけの揚力が発生するな、と体をリラックスさせたまさにそのときでした。
「あれ!?」
ジェットの振動とは明らかに違う、リズムから外れた軽い振動があったと思ったら、機体が大きく右方向に傾き始めたのです。
経験から体が勝手に予想をし、全身の筋肉が無意識のうちに通常の離陸に備えてバランスをとろうとしている中、その体の動きを裏切るようにあらぬ方向に自分が投げ出されつつある、と言う恐怖。
突如、ジェットは猛烈な逆噴射を始め、キャプテンがタイヤそのものにもブレーキを掛けたらしく、ものすごいスキール音が機内に響き渡ります。
でも、車どころか、それこそジェット機は急には止まれません。

隣の黒人のお姉さんが窓枠に両手でしがみつく様を「ああ、こりゃ逝くかもな。」と考えながら眺めつつ、機首が何かに衝突し、機体の前方からものすごい勢いで炎に包まれることを想像し、「シートベルト締めていたらエビもうてないな。」と思いバックルに手を掛けながら、その瞬間を今か、今かと待ち続けました。
時間にしてせいぜい10秒程でしょうか。機体は滑走路の中心を大きく外れながらも、特に何に衝突することも無く無事静止しました。

キャプテンからお詫びのアナウンスが入り、タイヤのパンク、破片がジェットに吸い込まれた可能性がある旨が知らされました。30分ほど機内で待機した後、別の機体に乗り換えることになり一度ゲートまでもとりました。
もともとアトランタの乗り継ぎは時間がタイトだったので「ああ、これは無理だなぁ。」と思いながらコネクションのアレンジをするためにエージェントの列に並んで待つこと4時間!どうしてこんなに時間がかかるんだろう?と思いながら、どうにか手続きを済ませてLAXを飛び立つことが出来たのはなんと夕方の6時前でした。
アトランタに到着したのは現地時間の25時過ぎ。当然コネクションなどありません。
ふたたびエージェントの列に並んでホテルの手配、食事の補償となるバウチャーなどを入手し空港を出てホテルへのシャトルバスを待ちました。
30分ほど待っても来ないのでホテルに電話してシャトルが運行中かを確認すると「はい、運行中です。もうすこし待ってみてください。」と。
内心「いや、でもWestinとかはもう3回も来てるし…。」と思いつつも、偶然に翻弄されるのも良いか、などと考えベンチに座ること約1時間。いい加減腹も減ったのでホテルに電話すると、今度は受話器をとってくれない!
どうしようかなぁ、と考えあぐねていると"Gen!"と僕の名を大声で呼ぶ声が!?
「あ、ホテルの人かな?」とのんきなことを考えてそっちを見てみたら、なんとジョンの生徒の巨漢青年ではないですか。聞いてみたら、「アトランタで仕事して休暇とって遊んでた。」とのこと。しかもよくよく聞いてみたら僕と同じ航空会社で、二日連続で機体トラブルでアトランタで足止め食らっていると。
どんな偶然なんでしょうか。世界が狭いにも程があります。

その後もホテルについて、鍵をもらって部屋に入ったら誰かがすでに中で寝ていたり、歩いてマクドナルドのドライブスルーに行ったら「車じゃないと売れない。」と追い払われたり、仕方が無くガソリンスタンドでナチョ・チーズとタコスを買ったらナチョ切れててスズメの涙ほどしか出てこなかったり。

いまどきシドニー・シェルダンだって一日にこんなにイベント盛りこまねーよ!ってくらい色々なことがありました。
なんだか運が良いのか悪いのか、きちんと埋め合わせされてんだかどうなのかさっぱり分からない一日でした。

※写真は実際にトラブルがあったキャリアとは無関係です。

2009年6月10日水曜日

LAX>AMS>CGN

ロスから飛行機で約10時間。
ドイツのケルンに向かうためアムステルダムで乗継です。
何でもEU最大のハブ空港とかで、つくりはシンプルですが、乗り継ぎのためにかなりの距離を歩きます。

乗り継ぎの待ち時間が4時間以上もあったため、初めての空港でしたがのんびりした気持ちで空港内のお店を見て回ったり。
"You do judo, right?"
"Yes."
"I can tell it!"
とイミグレもほぼフリーパス。耳が沸いていると便利なものです。正確には柔道ではなくて柔術ですが。そして柔道をやるからと言って訪欧目的すら聞かれずにEU入り出来てしまうのもどうかと思いますが。
空港内のフードコートもかなり欧州風。普段ならバーガーキングに行きかねない僕ですが、せっかくなのでサンドイッチとチキンスープを。

ケルンについて、荷物を解き終えると既に7時を優に回っていましたが、日はまだ高く散歩にはうってつけの雰囲気だったので、カメラ諸々かついでライン川を渡り大聖堂の周辺をぶらぶら歩き回ってきました。
せっかくなので何かドイツ風の食べ物を、と考えた末、思わず暖簾をくぐったのは何故かドネル・ケバブのお店。
蓮向かいのマクドナルドに吸い込まれなかっただけでも僕にしては上出来でしょう。

2009年5月26日火曜日

転向?

世界一の猫好きを自称するこの僕のブログが2回続けて犬の写真とか、もうね…。
アメリカは猫少ないですね。学生時代も含めて通算でアメリカ国内にトータルで3年以上は余裕で滞在していると思うんだけど、いわゆる飼い猫って一度しか見たことが無いです。
犬はいたるところで見るんだけどね。近くの公園なんてDog Parkだかなんだか専用のエリアがあって、日本だったらこれだけのスペースがあったら犬遊ばせとかないでテニスコートにでもして白い短パン履いたおっさん遊ばせて金取ってるよ!ってくらい立派な広さの。
で、上の写真のLoki君の成れの果てが

ってワケではなくて、今日はメモリアル・デー・ウィークエンドだったので道場はお休み。
一日中時間があったのでのんびりPC叩いてたのですが、昼ごはんにハンバーガー作って食べました。その時ついでにステーキ肉仕込んで先ほど焼いて食べました。
結構な大きさの肉ですが、値札見たら1.88USD。はっきり言って不当に安いです。家主の方は「安い肉は臭くて食えないでしょ」と仰っていますが、育ちがいいんだか悪いんだか良くわからない僕からすると、これまたはっきり言って不当に旨いです。
学生時代に食うに窮して捕まえて食べたリス(こっちだとスクウォーレルと呼ばれていて、リスはリスなんですがちょっとしたイタチくらいの大きさです)を思い返しても、この肉のいったいどこが臭いのか、と。
タマネギをみじん切りにして生肉にまぶし、醤油、塩、コショウで下味をつけて半日ほど寝かせてから焼くのですが、肉そのものの旨みがしっかりとしていて、こんなおにくがこんなお値段で食べられてしまうとは!?とちょっと嬉しいやら羨ましいやら、です。

2009年5月11日月曜日

くびれ

近くの野球場がある丘に散歩に出てみた。
何気なく撮った犬の写真、PCで見てみたらちょっとびっくり。
こんなにお腹くびれてるよ!

2009年5月7日木曜日

寄る年波には勝てず…?

昨日からロスに来ております。
6月の柔術の世界選手権に向けてがっちり練習する為に来たのはいいのですが、渡米直前は諸々のミーティングや仕事、仲間の試合などが立て込み忙殺されてしまい、当日の朝に荷物を大慌てで作って(といってもギx2着とPCだけですが…)こけつまろびつ成田に向かいました。
どうもこのごろ体調が思わしくなく、4日に食べたウイグル料理が効いてしまったのか、自宅、上野、成田と要所々々でマーキングするかのごとくリバース。
おまけにギックリ腰になってしまい、こっちに来てから未だジョンの道場に顔を出すことすらままならないという…。
くる時の飛行機の中で、スチュワーデスさんに「感染症とかそういったものではないですよね?ベトナムからのお乗り次ですか?何か私どもにできることがございましたら…。」とかなり真剣に心配されてしまいました。
ベトナムでなにかやばい病気でもはやっているのでしょうか?

※Skypeアカウント、こちらに持ってきたノートに移し忘れてました。こちらでコンタクトが確認できませんので、皆様よろしければgi_laptopで検索掛けてやってください。

2009年4月17日金曜日

奥の細道

17日の朝早くに王寺町の友人宅をお暇し、一路国道25号を東へ向かいました。
せっかくなので名古屋から岐阜に北上し、かねてからの夢であった岐阜散策を楽しもうとひたすら東へと進んでいました。
国道25号の伊賀サービスエリアで売店の裏手に回って伊賀の田園風景を見ながら休憩を取っていると、なにやら下の方からシュレーゲルアオガエルの鳴き声が聞こえてくるではありませんか!
これは早速録音しなくては!と喜び勇んで伊賀ICから下道に下りて先ほどカエルの鳴き声が聞こえたと思しきあたりにバイクを進めると、なんとも情緒あふれるこぢんまりとした水田にたどり着きました。
バイクを道端に停めて器材を取り出し、きれいに下草が刈り取られた田んぼ横のあぜ道を進むとトラクターにのったおじいさんが。
お邪魔でなければ、とお伺いした所「好い~音を録っていってください~。」と快諾してくださり、しばらくこの田んぼの周りでカエルの鳴き声や水の流れる環境音を録音したり、
わずか数メートルの短いあぜ道に、これでもか!とあふれる豊かな植生に富んだ草花の撮影を楽しんでいた所、

ふと時間を確認するとあっという間に2時間ほどが経過しており、「このまま岐阜まで行っても、歩き回る時間はなくなってしまうな」と急遽予定を変更。
ガソリンスタンドでホームセンターの場所を教えてもらうと、野宿に必要な最低限の装備(というと大げさだけど)を買出しに出かけました。
そのときに田んぼのおじいさんに伺えば良かったのですが、このあぜ道、本当に色々な草花に埋め尽くされているのです。これって自生しているものを適度に手入れしているだけなのでしょうか?
それともあぜ道をきれいにする為に意図的に植えている物なのでしょうか?
一瞥するとただのあぜ道。
カメラを担いで寝転がって見ると、今まで想像もしたことがないほど様々な植物で満ちていました。僕が知らないところでも、常に世界は100%の完成度なんですね、当たり前ですが。


JR柘植駅の観光案内板で、軽く情報収集をしたところ、野宿に適していそうなスポットと、その周辺の情報が分かりました。
早速林道をバイクでゆっくり進んで奥余野森林公園に。
ここにバイクを停めると、しばらく周囲の散策を楽しみました。


柘植駅前の案内板でこのあたりの登山道、ハイキングコースとそのおよその所要時間をデジカメに撮影してあったので、「今からだったら三国岳からゾロゾロ峠を回ってこれるな。」と考え、万が一に備えて飲み水、チョコレート、懐中電灯を腰にぶら下げると、器材を担いで伊賀の山へと分け入りました。
結構あちらこちらの林道を歩いたりしていますが、三国岳周辺は案内板にも「アップダウンのあるスリリングな山歩きが楽しめます」とか確かに書いてありましたが、ちょっとびっくりするくらいハードな山歩きになりました。
スリリング、っていうか、素人の僕は簡単に滑落→遭難に陥りそうな難所が目白押し。
器材を担いできたことを後悔しつつ、流木で杖を2本作って自分を鼓舞しながらひたすら頂を目指します。
ちなみにこの写真の滝は三馬の谷にあった、確か水竜の滝。高低差は15mくらいだったでしょうか、基本的にこんな感じの滑りやすい滝の横をロープや梯子を使ってひたすら登るという有様で、人気が全くないこともあり、ちょっとばかり真剣になってしまいました。
ひたすら渓流脇の山道を登ったり下ったり、しがみついたり滑ったりすること訳4時間。
とうとう他のハイカーに会う事もなく、奥余野公園に戻るとぼちぼち野宿の準備を始めたのは夕方の6時前頃でした。
野宿といっても僕が家から持参したのは寝袋のみ。先ほどホームセンターで伊賀町指定ゴミ袋30ℓ10枚入りとガムテープを買ったので、それらを工夫して快適な野宿スポットを作ります。
寝床を確保しても、まだ周囲は明るかったので、しばらく山の草木の写真を撮る等してあたりが暗くなってくるまで時間をつぶしました。
桜の木、このあたりは標高350メートルほどだったと思いますが、山の冷気のせいか、まだまだ花が残っていて大変に綺麗でした。
僕は植物には全然詳しくないのでアレなんですが、花弁や花びらの色や形、枝ぶりなど、ここでも非常に色々な種類の桜が生えていて、草木の彩りに多様性を求めるのが三重や奈良の人々の感性なのか、それともこの土壌がその感性を作ったのか、などと取り留めのないことをぼんやりと考えながら、次第に周囲が暗くなるさまを楽しみました。
そしてこの下の写真が”快適な野宿”を僕に約束してくれる、モンベル・クラブの会員がみたら失神しそうなお手製テント寝袋(0.5人用)。
野宿でしんどいのは寒さと蚊。
この対策だけしてあれば、なんとかなるものなので、テント部分は寝袋の上半身にしか掛かっていません。
入り口を開けると下の写真のようになります。結構快適そうでしょ?

さらに、下の写真はテント内部からのもの。
すごく快適そうでしょ?
設営時間約15分。お値段は200円くらいナリ。
夜中にカジカガエルの観察ができないかなぁ?と思いつつも、あいにくの降雨。
どのみち夕方の7時過ぎから朝の5時半まで爆睡しちゃったのですが。
もっとも、カジカガエルの習性、よく調べていないのでこの時期に観察できたかどうかも定かではありません。
朝もやに包まれた伊賀の里、心に残る風景でした。

2009年4月16日木曜日

多くを聞いて広くを見る。

20代の頃、パリのノートルダム大聖堂にノエルのミサを観に行きましたが、その巨大建造物に「すげぇわ~」とただ見上げるばかり。
なんだかゴシックな柱に灯してあるろうそくの周りをコウモリが飛んじゃったりしていて、筆舌に尽くしがたい緊張感が堂内に張り詰める、というかのしかかると言うか。
無神論者の自分の心のなかに、理屈で説明できない畏怖の念が込み上げてくるのを苦々しいやらほっとするやら受け入れたりして。
「いや~、キリスト教すげ~わ」と。
でも、20数年ぶりに東大寺の南大門見たら、「日本もすげ~!」と、”彼らの聖母”以来、心の片隅にあった、これまた理屈にならないコンプレックスの様なものが吹き飛びました。
なんつーか、空間も時間もでか過ぎて写真撮る気も吹っ飛びました。そんなわけで、東大寺、殆ど写真撮ってません。

脇侍のこのお二方も精緻な造形が素晴らしいのですが、個人的にはやはり南大門の左右で睨みを効かせる阿形・吽形像の造形がなんとも荒々しくて惚れ惚れしてしまいます。
網越しに見るしか術が無いので視力の乏しい僕には物足りないのですが、仕方が無いですね。年に3日程度で良いので、そして柵を設けて近寄れなくするなどの措置をとった上で良いので、金網越しでなく、一度でよいので直接見てみたい、と切に感じました。
東大寺はどちらかと言うと非常に落ち着いた、モノトーンの様な色彩だったのに対して、春日大社は明るい緑に囲まれた朱色の建物がなんとも雅な雰囲気でした。
いや、ほんと修学旅行で来た事あるのかね?俺。
法隆寺の回廊の記憶は卒業アルバムの写真の記憶と共に一気によみがえりましたが、春日大社、全く思い出せません。僕の当時の好奇心は一体どこに向かっていたのでしょうか?
パンチドランカーの様なキラッキラした黒々とした鹿の瞳にカメラを構える僕の姿がはっきりと映りこんでいます。
鹿、よくよく見ると巨大なねずみのようにも見えてきて、それほど愛らしい生き物でもないような気がしてきちゃいました。