なんだかゴシックな柱に灯してあるろうそくの周りをコウモリが飛んじゃったりしていて、筆舌に尽くしがたい緊張感が堂内に張り詰める、というかのしかかると言うか。
無神論者の自分の心のなかに、理屈で説明できない畏怖の念が込み上げてくるのを苦々しいやらほっとするやら受け入れたりして。
「いや~、キリスト教すげ~わ」と。

なんつーか、空間も時間もでか過ぎて写真撮る気も吹っ飛びました。そんなわけで、東大寺、殆ど写真撮ってません。

網越しに見るしか術が無いので視力の乏しい僕には物足りないのですが、仕方が無いですね。年に3日程度で良いので、そして柵を設けて近寄れなくするなどの措置をとった上で良いので、金網越しでなく、一度でよいので直接見てみたい、と切に感じました。

いや、ほんと修学旅行で来た事あるのかね?俺。
法隆寺の回廊の記憶は卒業アルバムの写真の記憶と共に一気によみがえりましたが、春日大社、全く思い出せません。僕の当時の好奇心は一体どこに向かっていたのでしょうか?

鹿、よくよく見ると巨大なねずみのようにも見えてきて、それほど愛らしい生き物でもないような気がしてきちゃいました。
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